「デジタル」と「ネイチャー」というワードの組み合わせに惹かれてとりあえず読み始めてみたこの本。
1ページ目から圧倒的な分からない単語と引用の数・・・
読みにくさと内容の難しさが相まってなかなか読み進めることができなかったので、とりあえず3周くらいiPhoneの読み上げ機能を使って音楽のように無理やり文字を耳から浴びて、そのあと、ようやくちょっとずつ実際に読み進めている次第です。
そんなんなので決して読んだとはいえないのですが、音として聴いているだけでも面白く刺激的な内容だったので、恥ずかしながらひとまず現時点での理解をまとめてみようと思います!
▼「デジタルネイチャー」ってなに?
そもそもこの本のタイトルにもなっている「デジタルネイチャー」ってなんだよって話だと思うのですが、本文からその説明をいくつか引用してみると、
生物が生み出した量子化という叡智を計算機的テクノロジーによって再構築することで、現存する自然を更新し、実装すること。
人間中心主義を超えた先にある、テクノロジーの生態系
ユビキタス・コンピューティングの発展の先に、<実質>と<物質>の境界、<人間>と<機械>の区別が融解した世界
といったような説明がされていますがよくわからないので、自分なりに噛み砕いていきたいと思います。
僕自身、このような分野は興味はありつつも疎いのですが、現在は、次のようなことが実際に凄いスピードで進んでいるようです。
- あらゆるものがIoT化していく
- 現実とバーチャルの違いがわからなくなるほど計算機の解像度が向上していく
- 世界中の万物のデータがデジタルで記録されるようになる
- AIとビッグデータによってコンピュータは悟りのような状態に達する
このようなことが実際に進むと、悟った状態の計算機によるネットワークが、リアルな物理空間の自然を覆いつくすため、人はそこにデジタルが介入していることを無意識に受け入れるようになるとともに、人はAIが作り出す全体最適化された世界に組み込まれて、実質と物質や、人間と機械といった区別が曖昧になった新しい自然ができあがる。そうした世界のことをデジタルネイチャーと呼んでいるのだと思います。
この世界観のなかでは、人とコンピュータは、どちらかがどちらかを一方的に使う・使われるといった上下関係ではなくて、お互いに補完し合うような共棲関係であることをイメージすると理解しやすいかもしれません。
▼「生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂」ってなに?
一方、タイトルの副題である「生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂」とはなんでしょう。
「生態系を為す汎神化した計算機」は世界をデジタルネイチャーへとアップデートする計算機のことだと思いますが、その計算機による「侘と寂」というのはいったい何を指すのでしょうか?
「侘・寂」についての個人的な理解では、
侘:想像で補う余地のある「不足、余白、空白」のある美しさ
寂:繰り返し使われたり時間が経ったりして劣化したものに現れる美しさ
といったような感じですが、こうした侘び寂びは、これまでは人間と自然との共作によって見出される日本的な美しさの概念でした。
しかし、こちらのリンク先にあるように、人と自然との関係性の中で生まれてきた侘び寂びの表現の過程にコンピュータを介在させることで、それっぽいものを再生産することを可能にしています。
“現代の魔法使い” 落合陽一が語る、ほんの少し先にある未来 〜Adobe MAX Japan 基調講演レポート〜
この中の「DeepWear」という衣服をつくるプロジェクトの説明を読むと理解しやすいかと思いますが、あるブランドの画像データを集めて、AIがそのブランドの「らしさ」を学習してアウトプットしたデータを人が衣服にすると、ほとんどそのブランドと見分けがつかないといったものが出来上がるとのことです。
他にもいろいろな例があると思いますが、こうしたコンピュータによる演算処理のプロセスを通すことで侘や寂を創り出すことを「生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂」と表現しているのかと思います。
▼アート的衝動
でも、そのような方法でコンピュータに答えを出してもらうということだけでは、統計の範囲内からの解しか得られないため、イノベーションが起きなくなってしまいます。これはある意味で幸せそうではあるけど、ちょっとディストピアっぽい。
でも筆者は、そうはならないんじゃないかと考えていて、その理由に、人類が持っているコンピュータにはない能力として「リスクをとるほどのモチベーション」とそれの根底をなす「アート的衝動」を挙げています。
統計の範囲から最適解をだすコンピュータにはリスクがとれないし、アート的衝動は合理的じゃないからこちらもコンピュータにはできません。
人がやることはその能力を活かして
「可能かもしれない想像上の産物」に対して、さまざまな質問を問いかける」ために具体化して「それに集中する」こと
が重要だと述べています。
コンピュータが世界を全体最適化していくなかで、人は課題を見つけ出してイノベーションを起こしていくといった関係は、ディストピア的ではない未来を予感させてくれますよね。
▼最後に
養老孟司さんの書評(https://allreviews.jp/review/2573)にもあるように、未来がこの本のとおりになっていくかはわかりません。
でも、集落や庭、ランドスケープ、仏教、身体性などに長く興味を持ち続けているけど、それらをうまく言語化することが苦手で、大学で論文を書くときに苦しい経験をもつ僕からすると、コンピュータによる補助や、AIによって可能になるかもしれない非言語化のコミュニケーション(現象から現象、end to end)ができるようになるかもしれないというのはとても楽しみなことです。
とりあえず今の僕のアート的な衝動は何かというと、
「生態系を豊かにする持続可能な農業を探っていきたい」
という、これまで長々と書いてきたのはなんだったのかというぐらい短い意見表明しかできないですが、本書のあとがきに
「自分には見えていない視野を持つ他人から何か言われることは、思いの外、人生の選択に影響をもたらすかもしれない。」
とあるように、少しでも視野を広げられる情報に触れていたいと思わせてくれる本でした!
デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂
あと、先にこちらを読んでおくと、さらに読みやすくなると思います!
むしろこれを最初に読むべきなんだけど… https://t.co/ZtzECX7yVe
追記
この本は、機械と同じように人間もデジタルであるという前提で進んでいくので、もしかすると、その点の理解が難しいという方もいるかもしれません。
そのあたりについては、次の動画を見ることで理解が進むとのアドバイスがあったので、もし気になる方はご覧になってみてください!